構造設計者が見てしまう“危ないサイン”
街を歩いていると、いろいろなものが目に入る。
きれいなものもある。
古いけれど味わいのあるものもある。
少し汚れているけれど、それが街の表情になっているものもある。
しかし構造設計者として歩いていると、時々、別のものも目に入ってくる。
危険の予兆のようなものだ。
もちろん、街で見かけたものを一目見ただけで、危険だと断定できるわけではない。
外から見える情報は限られている。
内部がどうなっているかはわからない。
設計図もない。
経年変化の履歴もわからない。
だから、軽々しく「これは危ない」と言うべきではない。
ただ、それでも気になるものはある。
あれは大丈夫だろうか。
このひび割れは進行しているのだろうか。
この錆は、どこまで内部に広がっているのだろうか。
看板の取り付け部は、本当に持っているのだろうか。
そういうことを、つい考えてしまう。
普通の人なら通り過ぎるだけの場所で、立ち止まりたくなる。
これもまた、構造設計者の職業病なのだと思う。
擁壁のひび割れ
まず気になるのは、擁壁のひび割れである。
擁壁は、街の中ではあまり主役にならない。
道路脇にある。
家の下にある。
坂道の途中にある。
植栽の後ろに隠れていることもある。
しかし、擁壁は土を支えている。
地味だが、かなり重要な構造物である。
ひび割れがあるからといって、すぐ危険というわけではない。
コンクリートにはひび割れが入ることがある。
乾燥収縮によるものもある。
表面的なものもある。
ただし、初見ではそれが進行しているクラックなのかどうか、なかなかわからない。
昔からあるひび割れなのか。
最近入ったものなのか。
雨のたびに広がっているのか。
背面の水圧や土圧の影響なのか。
そこは一度見ただけでは判断しにくい。
だからこそ怖い。
目に見えてひび割れが広がっている。
段差が出ている。
擁壁が前に膨らんでいる。
水が染み出している。
鉄筋の錆び汁のようなものが見える。
そういう状態なら、かなり注意が必要だと思う。
擁壁の不具合は、擁壁だけで終わらない。
その上に建物がある場合、地盤ごと影響を受ける可能性がある。
建物本体がどれだけきちんと設計されていても、それを支えている土地が崩れればただでは済まない。
構造設計者は、建物だけを見ているようで、実は地面も見ている。
外壁の浮き
外壁の浮きも気になる。
外壁が浮いてきているということは、内側で何か不具合が起きている可能性がある。
仕上げ材の接着が弱くなっているのか。
下地に水が回っているのか。
金物が腐食しているのか。
躯体との取り合いに問題があるのか。
表面から見ただけでは、正確な原因はわからない。
ただ、外壁の浮きは落下につながることがある。
これが怖い。
建物本体が崩壊するわけではないかもしれない。
しかし外壁材が落ちれば、人に当たる。
歩道に落ちる。
車道に落ちる。
それだけで十分危険である。
特に建物の外装は、普段あまり意識されない。
きれいに見えていれば問題ないと思われがちだ。
しかし、外壁は常に雨、風、日射、温度変化を受けている。
地震時には建物の変形にも追随しなければならない。
表面のきれいさと、安全性は必ずしも一致しない。
だから、浮いているように見える外壁を見ると、つい足を止めてしまう。
錆びた鉄骨階段
錆びた鉄骨階段も怖い。
特に非常階段である。
普段はほとんど使われない。
だからこそ、劣化に気づかれにくい。
外部にある鉄骨階段は、雨に濡れる。
湿気を受ける。
塗装が劣化する。
錆が進む。
踏み板、ささら桁、手すり、接合部、ボルト。
どこかが少しずつ傷んでいく。
日常的に一人、二人が上り下りする程度なら、問題が表に出ないこともある。
しかし非常時は違う。
火災や地震の時、人が一気に押し寄せる。
慌てて走る。
荷重は静かにかかるわけではない。
動的にかかる。
人が密集する。
そこで階段が耐えられなかったらどうなるか。
想像するだけで恐ろしい。
非常時に使うための階段が、非常時に壊れる。
それは最も避けなければならない事故の一つだと思う。
鉄骨階段の錆は、見た目の問題ではない。
避難経路の信頼性の問題である。
傾いたブロック塀
傾いたブロック塀も、街を歩いていると気になる。
特に道路側に傾いているものは怖い。
ブロック塀そのものは、小さな構造物に見える。
しかし倒れれば、人に直撃する。
子供の通学路に面していれば、さらに危険だ。
地震時に倒れる。
強風で倒れる。
車両の接触で倒れる。
そうした可能性を考えてしまう。
さらに、塀だけの問題ではない場合もある。
ブロック塀が土留めのような役割をしている場合、倒壊と同時に背面の土が崩れることもある。
地盤が崩れれば、その上の建物にも影響する。
小さな塀に見えても、背後にあるものまで考えると、問題は大きくなる。
傾いている。
ひび割れている。
控え壁がない。
鉄筋が入っているのかわからない。
古いブロック塀には、そういう不安がつきまとう。
構造設計者にとって、ブロック塀は意外と見過ごせない存在である。
後付け看板
後付け看板も怖い。
街には看板が多い。
店の看板。
ビルの袖看板。
屋上看板。
壁面看板。
広告板。
にぎやかな街には欠かせないものだが、構造的に見ると気になる点が多い。
看板は後から付けられることが多い。
建物本体の設計時には想定されていなかった位置に、後から取り付けられることもある。
地震時、建物は揺れる。
変形する。
しかし看板側がその挙動に追随できなければ、取り付け部に無理が出る。
下地が変形する。
ボルトが緩む。
溶接部が傷む。
そして落下する。
また、外から見てきれいでも、内部ではボルトが錆びているかもしれない。
断面が欠損しているかもしれない。
水が入り込んで、見えないところで腐食が進んでいるかもしれない。
このあたりは、外観からでは非常にわかりにくい。
看板のせいで建物本体が崩壊することは少ないかもしれない。
しかし看板が落下すれば、十分に大事故になる。
特に歩道上に大きく張り出した看板を見ると、
「どうやって留まっているんだろう」
と考えてしまう。
あまり楽しい街歩きではない。
雨漏り跡
雨漏り跡も見てしまう。
壁に水の跡がある。
天井に染みがある。
軒下に黒ずんだ跡がある。
外壁に縦筋の汚れがある。
もちろん、すべてが危険というわけではない。
樋から漏れた水の跡であれば、まだ原因は比較的わかりやすい。
雨水がうまく流れず、外壁を伝っただけかもしれない。
しかし経路がわからない水は怖い。
どこから入ったのか。
どこを通ってきたのか。
途中で何を濡らしているのか。
構造体に達しているのか。
鉄筋を錆びさせていないか。
木部を腐らせていないか。
クラックから水が入っている場合は、特に気になる。
水は静かに悪さをする。
地震や風のように派手ではない。
しかし長い時間をかけて、鉄を錆びさせ、木を腐らせ、コンクリートを傷める。
建物にとって、水はかなり厄介な存在である。
雨漏り跡を見ると、ついその水の経路を想像してしまう。
どこから来て、どこへ行ったのか。
それがわからない時ほど怖い。
柱脚まわりの腐食
古い工場や倉庫でよく気になるのが、柱脚まわりの腐食である。
鉄骨柱の足元。
ベースプレート。
アンカーボルト。
ナット。
根巻きコンクリート。
そこに錆が出ている。
場合によっては、ボルトが細くなっている。
欠損しているように見えることもある。
柱脚は、建物にとって非常に重要な部分だ。
上部構造の力を基礎へ伝える場所である。
鉛直力も、水平力も、曲げも、せん断も、何らかの形でここを通る。
もし柱脚をピンジョイント、あるいはヒンジに近いものとして想定した設計であれば、多少の腐食が即崩壊につながるとは限らない。
しかし、そうでない場合は怖い。
固定柱脚として期待していたのに、足元が腐食している。
アンカーボルトが効いていない。
ベースプレートが傷んでいる。
そうなると、建物全体の挙動が設計時の想定から外れる。
また、柱脚まわりは水が溜まりやすい。
床の清掃水。
雨水。
結露。
薬品。
工場なら、使用環境によっては腐食が進みやすいこともある。
柱の足元は地味だ。
しかし、地味な場所ほど大事なことが多い。
木造の基礎まわり
木造建物の基礎まわりも気になる。
ただし、これは外から見ただけでは判断が難しい。
基礎本体にひび割れがあるか。
土台は傷んでいないか。
シロアリ被害はないか。
アンカーボルトはあるか。
ホールダウン金物はあるか。
支持地盤は大丈夫か。
そうしたことは、外観だけではなかなかわからない。
それでも基礎まわりは、上を支える大事なパーツである。
建物は上部だけで立っているわけではない。
柱や壁が荷重を受け、それを基礎に伝え、さらに地盤へ伝える。
その最後の受け皿が弱いと、建物全体に影響する。
古い木造住宅では、そもそも現在の基準で必要とされる金物が入っていない場合もある。
アンカーボルトが十分ではない。
ホールダウン金物がない。
土台と基礎の緊結が弱い。
そういうこともある。
もちろん、外から見ただけで断定はできない。
しかし、基礎まわりに大きなひび割れがある、土台が傷んでいる、湿気が多い、地盤が沈んでいるように見える。
そういう場合は、気になる。
木造の怖さは、見えないところにある。
壁の中。
床下。
基礎との取り合い。
そこが健全かどうかで、建物の耐震性は大きく変わる。
古い橋の支承部
橋を渡る時、支承部も気になる。
とはいえ、わざわざ橋の下をのぞきに行くわけではない。
しかし見える範囲で、つい見てしまう。
橋はシンプルに見える。
桁があって、支点があって、向こう岸まで渡る。
けれど解析はかなり複雑だ。
自重。
車両荷重。
歩行者荷重。
地震。
温度変化。
乾燥収縮。
クリープ。
風。
支点条件。
可動支承。
固定支承。
落橋防止。
考えるべき項目は多い。
支承部は、橋の動きを受け止める重要な場所である。
橋は温度変化で伸び縮みする。
地震時には動く。
その動きを適切に逃がしたり、受け止めたりするのが支承部である。
そこが錆びている。
動けなくなっている。
土砂やゴミが詰まっている。
コンクリートが傷んでいる。
そういう状態を見ると、気になる。
橋の怖さは、普段はあまりにも当たり前に使われていることだ。
誰も意識せずに渡っている。
けれど、その当たり前を支えている小さな部品がある。
支承部は、その代表のような存在だと思う。
危ないサインは、断定ではなく問いである
ここまでいくつかの危ないサインを書いてきた。
擁壁のひび割れ。
外壁の浮き。
錆びた鉄骨階段。
傾いたブロック塀。
後付け看板。
雨漏り跡。
柱脚まわりの腐食。
木造の基礎まわり。
古い橋の支承部。
ただし、これらを見つけたからといって、すぐに危険だと断定できるわけではない。
大切なのは、そこから問いを立てることだと思う。
このひび割れは進行しているのか。
水はどこから入っているのか。
錆は表面だけなのか、断面欠損まで進んでいるのか。
看板の取り付け部は健全なのか。
基礎と土台はきちんと緊結されているのか。
支承部は本来の機能を保っているのか。
危ないサインとは、答えではない。
調べるべき入口である。
構造設計者は、街を歩きながら、そういう入口を見つけてしまう。
見つけたくなくても、目に入ってしまう。
まとめ
街を歩いていると、危険の予兆のようなものに気づくことがある。
それは必ずしも派手なものではない。
小さなひび割れ。
少し浮いた外壁。
錆びた階段。
傾いた塀。
古い看板。
水の跡。
柱脚の錆。
基礎まわりの違和感。
橋の支承部の劣化。
どれも、一目で危険だと決めつけられるものではない。
しかし、見過ごしてよいとも限らない。
建物や構造物は、突然壊れるように見えて、実はその前に小さなサインを出していることがある。
水が入る。
錆びる。
膨らむ。
割れる。
浮く。
傾く。
緩む。
その小さな変化を見逃さないことが、構造設計者の感覚なのかもしれない。
もちろん、街を歩くたびにそんなことばかり考えていたら、少し疲れる。
けれど、それでも見てしまう。
妻が花を見ている横で、私は擁壁を見る。
きれいな看板を見ながら、その裏のボルトを想像する。
橋を渡りながら、支承部を思う。
困った職業病である。
しかしその職業病が、建物を少し安全にする力にもなっているのだと思う。
構造設計者は街を歩くと何を見ているのか?
構造設計者が一番怖いと思う建物とは?
なぜ設計ミスは起きるのか
構造設計者が考える良い建物とは何か
構造設計にスケール感はなぜ重要か


コメント