海外で構造設計をすると何が違うのか?
海外で構造設計をすると、何が違うのか。
単位。
法規。
基準。
施工技術。
そして、お国柄。
言葉にすると簡単だが、実際にその中で仕事をしてみると、思っていた以上に違う。
しかもそれは、単に「外国だから違う」という話ではない。
その国の歴史があり、地震があるかないかがあり、施工者の技術があり、材料の流通があり、工期やコストの考え方がある。
構造設計という仕事は、力学だけで完結する仕事ではない。
重力はどの国でも同じだ。
一足す一は、どの国でも二になる。
それでも、設計の考え方は国によって変わる。
そこが面白く、そして難しい。
単位が違う
まず最初に戸惑うのは、単位だ。
日本で構造設計を始めた頃は、kgやtで考えていた。
荷重も、部材の重さも、頭の中ではその感覚だった。
ところがアメリカに行くと、lb、inch、feet、kipsが出てくる。
最初は数字の大きさが、まったく身体に入ってこない。
日本であれば、梁にどのくらいの荷重がかかっているのか、数字を見た瞬間に大まかな感覚が湧く。
しかし単位が変わると、その感覚が一度失われる。
だから私は、いまだに一度kgに換算してしまう。
これは何kgくらいなのか。
この反力はどれくらいの大きさなのか。
この部材断面は、日本の感覚でいうとどの程度なのか。
頭の中で一度、自分の慣れた単位に戻す。
効率が悪いと言われればそうかもしれない。
しかし構造設計では、数字の前にスケール感が大事だと思っている。
計算結果が細かく正しいことはもちろん大切だ。
けれど、その前に、
「これは何か違う」
と感じる力が必要になる。
単位が違う国で働くということは、その感覚を一度揺さぶられることでもある。
法規は意外と似ている
法規については、実はどの国でも意外と似ていると感じることがある。
もちろん細部は違う。
条文も違う。
書き方も違う。
使われる言葉も違う。
しかし根底にある考え方は、どこか似ている。
おそらく、何か原型のようなものがあり、それを各国が自分たちの言語や制度に合わせて変えてきたのではないかと思う。
建物に重力が作用することは、どの国でも変わらない。
人が使う建物であることも同じだ。
安全でなければならないという目的も同じだ。
地球上である限り、重力は同じ。
一足す一は二。
そういう基本的な部分では、建築法規もどこか似てくるのかもしれない。
ただし、その先にある設計基準は、国ごとにかなり個性が出る。
基準は国ごとに進化する
基準は、その国の経験から生まれる。
日本は地震国だ。
だから耐震設計の考え方が非常に発達している。
単に柱を太くすればいい、必要なだけ鉄筋を入れればいい、という話にはならない。
重要なのは、どのように壊れるかだ。
崩壊形を考える。
どこに塑性化を許容するのか。
どの部材を守るのか。
どこでエネルギーを吸収させるのか。
日本の構造設計では、靭性という考え方が非常に重要になる。
建物は絶対に傷ついてはいけない、というわけではない。
大地震時には損傷を許容することもある。
しかし全体崩壊はさせない。
人命を守る。
そこに設計の根本がある。
一方で、非地震地域の建物を見ると、私の感覚では、とにかく強度を重視しているように感じることがある。
もちろんこれは私の経験からくる印象であって、すべての国や地域に当てはまるわけではない。
ただ、日本のように「壊れ方」まで強く意識して設計する文化とは、少し違う空気を感じることがあった。
解析法の中に「push over」という言葉があるくらいだから、英語圏でも崩壊過程を追う考え方は当然認知されている。
しかし実務の現場で感じる重心は、国や地域によってかなり違う。
施工にもお国柄が出る
設計だけではない。
施工にもお国柄が出る。
これも私の経験からくる感想なので、すべてが正しいとは言えない。
ただ、日本、アメリカ、ベトナムで仕事をしていると、それぞれに違った現場の文化があると感じた。
日本では、現場溶接を極力避けようとする。
品質管理の難しさがあるからだ。
工場でできるだけ精度よくつくり、現場ではボルトで確実に組む。
そういう発想が強い。
一方、アメリカでは、とにかく溶接で納めるという印象があった。
多少ずれても、最後は溶接でつける。
もちろんこれもプロジェクトや地域による。
しかし日本の感覚からすると、現場での許容の仕方がずいぶん違うと感じた。
ボルト接合に対する考え方も違う。
日本では、ピン接合と言いながらも、HTBのボルト孔径はきちんと決まっている。
ウェブだけの接合部であっても、厳密に言えば多少の固定度が出る。
そのため、非耐震フレームであっても、結果として地震力をいくらか負担することがある。
日本では、そういう周辺フレームの寄与も見ながら、建物全体の挙動を考えることが多い。
アメリカの考え方
アメリカで印象的だったのは、耐震要素とそれ以外のフレームを、かなり明確に分けようとする考え方だ。
耐震フレームは耐震フレーム。
それ以外のフレームには、できるだけ水平力を流さない。
そのため、非耐震フレームの梁端部にはルーズホールやオーバーサイズホールを使い、水平力の流れを遮断するような考え方が出てくる。
これは構造的な意図でもあるが、施工が楽になるという側面もある。
日本のトップゼネコンは、理想を語れる。
精度も高い。
施工管理も厳しい。
「こうあるべきだ」という話ができる。
一方、海外の現場では、
「そうは言ってもねぇ」
という現実が出てくる。
理想だけでは建物は建たない。
施工者のスキル。
使い慣れた工法。
調達できる材料。
現場の管理能力。
それらを踏まえた上で、設計しなければならない。
構造設計は、図面の上だけで完結する仕事ではない。
ベトナムの現場で感じたこと
ベトナムで印象的だったのは、ものを大事にすることだ。
建物を移設する時、上屋の鉄骨はもちろん、杭まで抜いて再利用することがあった。
日本の感覚からすると、かなり驚く。
杭を抜いて再利用する。
そこまでやるのかと思う。
しかし、そこにはその国の事情がある。
材料の価値。
労務費。
工期。
設備。
調達環境。
日本では作業効率を重視して、スラブ配筋を一律にすることが多い。
施工性を優先し、できるだけシンプルにする。
しかしベトナムでは、ベンド配筋が主流だった。
日本もかつてはそうだった。
必要なところに必要な鉄筋を曲げて入れる。
材料を無駄にしない。
手間をかけてでも、材料を活かす。
そういう考え方が残っている。
これは単に新しい、古いの話ではない。
その国の経済性と施工文化の反映なのだと思う。
郷に入っては郷に従う
海外で設計をすると、つい日本のやり方を基準にして考えてしまう。
日本ならこうする。
日本ならこれは許されない。
日本ならこの精度で施工できる。
しかし、それをそのまま持ち込んでも、うまくいかないことがある。
郷に入っては郷に従う。
これは設計でも同じだ。
もちろん、安全性を妥協するという意味ではない。
その国の事情を理解した上で、安全に、確実に、合理的に成立させるということだ。
新工法の開発をしているのでなければ、施工者が確実にできる方法の中で工夫することが大事になる。
難しいことを図面に描くのは簡単だ。
しかし現場で確実にできなければ意味がない。
理想と現実の間で
海外で構造設計をすると、理想と現実の距離を強く感じる。
設計者としては、こうしたい。
もっと合理的にしたい。
もっと美しく納めたい。
もっと精度よくつくりたい。
しかし現実には、国ごとの事情がある。
施工者の経験。
工場の能力。
材料の流通。
検査体制。
コスト感覚。
そこで必要になるのは、理想を捨てることではない。
理想を現実に翻訳することだと思う。
日本で通じる言葉が、海外では通じないことがある。
それは英語か日本語かという意味ではない。
設計思想の言語が違うのだ。
それでも構造は同じ方向を向いている
単位は違う。
法規も違う。
基準も違う。
施工技術も違う。
それでも、構造設計が目指すものは同じだ。
安全な建物をつくること。
使いやすい建物をつくること。
長く残る建物をつくること。
そのための道筋が国によって違うだけだ。
重力は同じ。
力の流れも同じ。
しかし、それをどう受け止め、どう施工し、どう制度化するかは国によって変わる。
そこに海外で設計する面白さがある。
そして難しさがある。
まとめ
海外で構造設計をすると、いろいろな違いに出会う。
単位。
法規。
基準。
施工技術。
お国柄。
最初は戸惑う。
しかし、その違いの中にこそ学びがある。
日本の常識が、世界の常識ではない。
アメリカの合理性。
ベトナムの材料を大事にする感覚。
日本の高い施工精度。
それぞれに良さがあり、難しさがある。
構造設計者に必要なのは、一つの正解だけを信じることではないのだと思う。
その国の事情を理解し、現実を見極め、その中で最善の答えを探すこと。
それが海外で構造設計をするということなのだと思う。
構造設計にスケール感はなぜ重要か
構造設計者が街を歩くと何を見ているのか?
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