旅の記憶ーシカゴ――大火のあとに立ち上がった建築の街

シカゴ――大火のあとに立ち上がった建築の街

シカゴには、何度も行った。

アメリカの街はいくつも訪れたが、シカゴにはどこか独特の硬さがある。

ニューヨークのように過剰ではない。

ロサンゼルスのように広がりすぎてもいない。

街の中心に高層ビルが立ち並び、そのすぐ先に巨大な湖がある。

湖と言うには、あまりに大きい。

海ではないと頭ではわかっているのに、目の前に広がる水面を見ると、どうしても海のように感じてしまう。

風が強い。

空が大きい。

ビルの輪郭がくっきりしている。

シカゴは、建築の街である。

そして、少し乱暴に言えば、焼け跡から近代都市になった街でもある。


大火のあとに生まれた街

シカゴには歴史がある。

しかし、その歴史は一度、大火によって焼失している。

1871年のシカゴ大火。

街の多くが焼けた。

普通なら、それは喪失の物語で終わるのかもしれない。

けれどシカゴは、その焼け跡から新しい都市をつくった。

木造の古い街から、鉄と石とガラスの街へ。

防火。

構造。

都市計画。

交通。

商業。

それらが一気に再編されていった。

構造設計者としてこの街を見ると、そこにただの復興以上のものを感じる。

壊れたからこそ、新しいものを試せた。

失ったからこそ、次の都市像へ向かう余地が生まれた。

シカゴの建築には、どこかそういう勢いが残っている。

古典的な装飾をまとった建物もある。

重厚な石造風の建物もある。

一方で、近代的な鉄骨フレームの思想もある。

歴史と近代が、妙に近い距離で並んでいる。

それがシカゴの面白さだと思う。


超高層ビルのはじまり

シカゴは、超高層ビルの歴史を語るうえで外せない街である。

高層ビルというと、今ではニューヨークの摩天楼を思い浮かべる人も多いだろう。

しかし、近代的な高層建築の発展において、シカゴの存在は大きい。

鉄骨フレーム。

エレベーター。

防火技術。

都市の土地利用。

それらが重なって、高く建てることが現実的になっていった。

構造的に言えば、高層建築は単に上へ積むだけではない。

鉛直荷重を支える。

風を受ける。

水平力に抵抗する。

変形を抑える。

基礎へ力を流す。

高くなるほど、建物は単なる箱ではなくなる。

細長い構造体として、風や揺れと向き合わなければならない。

シカゴの街を歩いていると、その歴史の厚みを感じる。

クラシックな有名建築が残り、近代的なビルが並び、その中に新しい高層ビルも建っている。

街全体が、超高層建築の教科書のようでもある。

ただし、教科書というには、少し生々しい。

図面の中ではなく、実際に人が働き、暮らし、歩いている。

そのことがいい。

建築は、完成した瞬間に標本になるのではない。

都市の中で使われながら、時間を重ねていく。

シカゴのビル群には、その時間がある。


巨大な湖と落雷

シカゴで強烈に覚えているのは、ミシガン湖である。

湖という言葉では足りない。

水平線がある。

風がある。

水面が荒れる。

街のすぐ横に、あれほど巨大な水の面があることが、まず不思議だった。

ある時、落雷を見た。

空が割れたようだった。

天地創造という言葉が、少し大げさではなく思えた。

高層ビルの向こうに、巨大な湖があり、その上に稲妻が走る。

街と自然のスケールが、同時に目の前にある。

日本の都市では、あまり感じないスケールだった。

構造設計者としては、つい風荷重のことを考える。

湖から吹く風。

高層ビルの間を抜ける風。

冬の寒さ。

凍結。

外装材。

ファサード。

建物は、ただ地面に立っているだけではない。

その土地の気候を受けて立っている。

シカゴの建築には、風の街の建築という顔もある。


自分のアメリカでのプロジェクト一号

シカゴは、自分にとって少し特別な街でもある。

アメリカでのプロジェクト一号のスタジアムがあった街だからだ。

初めてアメリカのプロジェクトに関わる。

それは、図面の言葉も、単位も、考え方も、日本とは少し違う世界に入るということだった。

日本で当たり前だと思っていたことが、当たり前ではない。

荷重の単位が違う。

図面の描き方が違う。

設計者と施工者の距離感も違う。

「なるほど、こうやって建物は建つのか」

と何度も思った。

スタジアムという建物は、構造的にも面白い。

大スパン。

観客席。

屋根。

動線。

振動。

避難。

視線。

音。

人が大量に集まる場所には、独特の緊張感がある。

そこに関わったことで、自分の中の構造設計の感覚も少し変わった。

建物は国によって違う。

でも力は同じだ。

重力は同じ。

風も地震も、形は違っても建物に作用する。

ただ、それをどう考え、どう設計し、どう施工するかが違う。

シカゴは、そのことを最初に実感した街だったのかもしれない。


フランク・ロイド・ライトの街

シカゴといえば、フランク・ロイド・ライトのことも思い出す。

シカゴ近郊のオークパークには、ライトの作品が多く残っている。

ツアーにも参加した。

住宅街の中に、ライトの建築が点在している。

水平に伸びる屋根。

深い庇。

低く抑えられたプロポーション。

外から見ると、建物が大地に張り付くように見える。

ライトの建築は、やはり魅力的だった。

写真で見るよりも、実際に歩いて見る方がいい。

隣家との距離。

道路との関係。

窓の高さ。

屋根の出。

街区の中でどう建っているか。

そういうものが見えてくる。

ただし、ライトについては、少し複雑な感情もある。

落水荘の一件で、私は少しがっかりした。

落水荘は、たしかに美しい。

岩の上に建ち、滝の上に張り出す姿は、建築として非常に魅力的だ。

自然と一体化している。

片持ちの床が大胆に伸びる。

水音が建築の中に入り込む。

誰が見ても、忘れがたい建築だと思う。

しかし、その片持ち部には過度なたわみが生じた。

構造的な問題があった。

エンジニアの意見を十分に聞かなかった結果だとされる話を知った時、少し冷めた。

デザインは素敵だ。

でも、建物は立ち続けなければならない。

美しさのために構造を無理させることはできる。

できるが、その無理には責任が伴う。

構造設計者としては、そこが気になってしまう。

ライトの天才性は疑いようがない。

それでも、建築家の強い意志と構造の現実がぶつかるとき、何が起きるのか。

落水荘は、その怖さを教えてくれる建築でもある。


美術館と水族館

シカゴには、美術館や水族館もある。

街の楽しさは、ビル群だけではない。

美術館に入り、展示を見る。

水族館で巨大な水槽を見る。

建築を見るつもりで行っても、いつの間にか中のものに引き込まれている。

それがいい。

美術館は、作品を見るための建築である。

水族館は、水と生き物を見るための建築である。

どちらも、建築が主役になりすぎてはいけない。

けれど、建築が弱すぎても場所の記憶にはならない。

光の入れ方。

動線。

天井高さ。

展示室のスケール。

水槽を支える構造。

人の流れ。

そうしたものが、体験をつくっている。

水族館では、つい水槽の重量を考える。

水は重い。

ものすごく重い。

大きな水槽を支えるということは、巨大な荷重を受け止めるということだ。

普通の人は魚を見る。

私は時々、その魚を支えている構造を見ている。

我ながら面倒な見方だと思う。


マフィアと禁酒法の影

シカゴには、もう一つの顔がある。

マフィア。

禁酒法。

アル・カポネ。

そういう言葉が、どうしても街のイメージに重なる。

もちろん、今の街を歩いていて、昔のギャングの気配がそのまま残っているわけではない。

けれど、シカゴという都市には、どこか荒っぽい物語が似合う。

大火。

急成長。

高層ビル。

移民。

鉄道。

産業。

禁酒法。

マフィア。

街が一気に大きくなる時には、光も影も生まれる。

建築は、その両方を背景にして建っている。

きれいなビルだけを見ていると、都市の一部しか見えない。

その下にある欲望や混乱や野心も、街の一部である。

シカゴのビル群を見上げると、単に合理的な近代都市というだけではない何かを感じる。

少し荒く、少し重く、でも力強い。

それがシカゴらしさなのかもしれない。


シカゴという建築の教材

シカゴは、構造設計者にとって教材のような街である。

大火からの復興。

鉄骨フレームの発展。

超高層ビルの歴史。

湖からの風。

ライトの住宅。

スタジアム。

美術館。

水族館。

都市の光と影。

一つの街の中に、建築を考える材料が詰まっている。

しかも、それらが観光地として整いすぎていないところがいい。

ニューヨークほど派手ではない。

ロサンゼルスほど散らばっていない。

シカゴは、都市としての密度がちょうどいい。

歩いていて、建築が目に入る。

ビルの足元を見て、ファサードを見て、構造を想像し、湖の風を感じる。

自分の仕事と旅の記憶が、自然に重なっていく。


まとめ

シカゴは、何度も訪れた街である。

歴史がある。

しかし大火で一度焼け、その後、近代的なビルが立ち並ぶ街になった。

超高層建築の歴史において重要な街であり、クラシックな名建築も多い。

巨大なミシガン湖があり、落雷は天地創造のようだった。

自分にとっては、アメリカでのプロジェクト一号のスタジアムがある街でもある。

フランク・ロイド・ライトの作品が多く、オークパークのツアーにも参加した。

ライトの建築には魅力がある。

しかし落水荘の構造的な問題を知ると、構造設計者としては少し複雑な気持ちにもなる。

デザインの力と、構造の現実。

その両方を考えさせられる。

美術館も水族館もあり、マフィアや禁酒法の物語もある。

シカゴは、きれいなだけの街ではない。

焼け跡から立ち上がり、高く建ち上がり、風と湖の横で今も都市として動いている。

建築を学ぶ街として、これほど面白い場所はなかなかない。

旅の記憶としても、仕事の記憶としても、シカゴは自分の中に残っている。

高層ビルの足元に立ち、湖からの風を受ける。

空には稲妻が走る。

その瞬間、建築というものは、地面と空の間で人間が必死につくった居場所なのだと、あらためて思う。

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