F1と旅
あまり大きな声では言えないけれど、
小学校の卒業文集には三つの夢を書いていた。
二つは、
「建築家になって海外で暮らす」
のこるもう一つは、
「F1レーサーになる」
さすがにレーサーにはなれなかった。
けれど、
F1への憧れだけはずっと残った。
そして気がつけば、
いろいろな国へレースを観に行くようになっていた。
スピードという世界
F1には独特の空気がある。
エンジン音。
タイヤの匂い。
観客の熱気。
テレビでは伝わらない。
実際のサーキットでは、
空気そのものが震えている。
マシンが目の前を通り過ぎる一瞬。
爆音とともに、
視界の中を色だけが飛んでいく。
「あれに人が乗っているのか」
最初はそんな感覚だった。
鈴鹿
最初に強くハマったのは、
やはり鈴鹿だった。
日本のF1ファンにとって、
特別な場所だと思う。
ただ、問題は宿泊だ。
レース期間中、
サーキット近辺のホテルはほとんど取れない。
結局、大阪に泊まることも多かった。
朝早く移動して、
夜遅く戻る。
それでも行きたくなる。
あの爆音。
あのスピード。
F1というものを、
身体で初めて理解した場所だった。
モントリオール
モントリオールも印象深い。
ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット。
ここは、
観客席とコースが近い。
本当に真横をマシンが通っていく。
速度感が異常だ。
そしてスタート地点近くに描かれた、
「Salut Gilles」
の文字。
あれを見ると、
少し胸が熱くなる。
モントリオールという街自体も美しかった。
ヨーロッパの雰囲気を持ちながら、
どこか北米らしい開放感もある。
歩いていて気持ちのいい街だった。
シルバーストーン
シルバーストーンは、
どこか“本場”という空気があった。
イギリスの空。
少し湿った風。
サーキット全体に漂う歴史。
F1というスポーツが、
この国の文化の一部であることを感じる。
観客も詳しい。
マシンの細かい違いを見ている。
あの空気感は、
やはりイギリスならではだと思う。
モンツァ
モンツァは、
イタリアそのものだった。
ティフォシの熱量。
フェラーリへの歓声。
レースももちろん印象的だったが、
個人的に面白かったのは食べ物だ。
サーキット内のピザですら、
窯焼きが基本。
「さすがイタリアだな」
そんなことを妙に感心していた。
レースだけではなく、
そういう何気ない部分にも
国の文化が出る。
旅というのは、
そういうところが面白い。
インディ
インディアナポリスも強烈だった。
もちろん、
オーバルの巨大さも印象的だった。
ただ、
一番驚いたのは駐車場だった。
アメリカ式の駐車方法。
とにかく来た順に、
奥からびっしり詰めて停める。
合理的と言えば合理的だ。
しかし問題がある。
途中で帰れない。
本当に出られない。
「ちょっと早めに帰ろう」
そんな発想は通用しない。
あれは、
いかにもアメリカ的だと思った。
F1と都市
F1を観に行くと、
その街の空気も一緒に記憶に残る。
サーキットだけではない。
街並み。
食事。
人。
モントリオールの空気。
イタリアの熱量。
イギリスの曇り空。
それぞれが、
レースの記憶と結びついている。
建築と少し似ている
F1を見ていると、
少し構造設計に似ていると思うことがある。
極限まで無駄を削る。
軽くする。
速くする。
それでも壊れない。
そこには、
ものづくりとしての美しさがある。
そして、
最後はやはり人間だ。
ドライバーも、
エンジニアも、
チームも。
どれだけ技術が進んでも、
最後は人が勝負を決める。
夢の続き
小学校の頃の夢、
F1レーサーにはなれなかった。
けれど、
こうして世界のサーキットを巡っている。
考えてみれば、
少しだけ夢の続きなのかもしれない。
まとめ
F1を観に行く旅は、
単なるスポーツ観戦ではない。
街を見る旅でもある。
その国の文化や空気を感じる旅でもある。
そしてサーキットには、
その土地らしさが不思議と現れる。
爆音の中で、
そんなことを考えている。
内部リンク
旅の記憶 ― ベトナム、そして海外で働くということ
構造設計という仕事が連れていってくれた場所
構造設計の魅力

コメント