建築家 ザハ・ハディド――近寄れなかったほどの迫力
ザハ・ハディド。
いわずと知れた有名建築家である。
彼女の作品については、すでに多くの人が語っている。
曲線的で、流動的で、未来的で、重力から少し自由になったような建築。
そう説明することはできる。
代表作を並べることもできる。
しかしここでは、作品紹介はあえて省略したい。
私が書きたいのは、ザハ・ハディドという人が持っていた迫力についてである。
そして、なぜ彼女はあれほどまでにやり続けることができたのか、ということである。
女性であり、アラブであり、建築家であること
彼女には、印象的な言葉がある。
正確な表現としては、彼女が直面した困難の多くは、仕事そのものではなく、自分が「女性であること」「アラブであること」「アラブ女性であること」から来ていた、という趣旨の言葉である。
建築の世界は、長く男性中心だった。
そこに、イラク出身の女性建築家が、ロンドンを拠点に、誰も見たことのないような建築を提示する。
想像するだけで、簡単な道ではなかったはずだ。
母国では女性であることで制約を受け、海外に出れば今度は出身や文化的背景によって見られる。
どこへ行っても、まず建築そのものではなく、自分の属性が前に出てしまう。
それはどれほど面倒で、どれほど腹立たしいことだっただろう。
けれど彼女は、それを言い訳にして止まらなかった。
むしろ、その圧力を押し返すように建築をつくり続けた。
ザハの建築には、どこか「私はここにいる」という強い宣言がある。
やわらかい曲線の建築であっても、存在感はまったくやわらかくない。
むしろ、かなり強い。
世界の側が受け入れるまで、形を変えずに突き進んだ人。
私には、そんな印象がある。
何が彼女を動かしたのか
ザハを動かしていたものは何だったのか。
名誉欲だったのか。
怒りだったのか。
建築への純粋な欲望だったのか。
おそらく、そのすべてが少しずつ混ざっていたのではないかと思う。
ただ、彼女の作品を見ていると、単に奇抜な形をつくりたかった人には見えない。
もっと根本的なところで、空間の見方を変えたかったのではないか。
床は水平で、壁は垂直で、柱はまっすぐ立つ。
建築には、無意識の前提がたくさんある。
ザハは、その前提を疑った。
建物はもっと流れてもいい。
空間はもっとねじれてもいい。
人の動きに沿って、建築そのものが変形していくように見えてもいい。
重力を完全に無視することはできない。
構造設計者として言えば、建物は最後には必ず地面に力を流さなければならない。
しかしザハの建築は、その当たり前をぎりぎりまで見えなくしようとする。
そこが面白い。
そして、そこが大変である。
建築家が自由を求めるほど、構造設計者は苦しくなる。
けれど、その苦しさの先にしか生まれない建築もある。
ザハの建築は、まさにそういう建築だったのだと思う。
新国立競技場のこと
日本でザハ・ハディドといえば、やはり新国立競技場のことを避けて通れない。
彼女の案は、東京オリンピックスタジアムの国際コンペで選ばれた。
あの案を初めて見た時、私は素直に驚いた。
強烈だった。
巨大で、流動的で、都市の中に突然未来の生物が現れたようだった。
もちろん、問題がなかったとは思わない。
規模も大きい。
コストも大きい。
施工も簡単ではない。
周辺環境との関係もある。
批判が出るのはわかる。
それでも、あれは世界中が注目するスタジアムになる可能性があった。
4年に一度、世界中が一つの場所を見る。
オリンピックのメインスタジアムとは、そういう場所である。
ただ競技ができればいい、という建物ではない。
その国が、その時代に、世界に向けて何を見せたいのか。
それを背負う建築でもある。
そう考えると、私はザハ案を見たかった。
日本にあの建築が立つところを見たかった。
政治的だったのではないか、という思い
ザハ案は、結果的にキャンセルされた。
理由はいろいろ説明された。
建設費。
工期。
周辺環境。
実現性。
それらは確かに重要だ。
構造設計者としても、コストや施工性を無視してよいとは思わない。
しかし、私はどこかで、これは政治的な理由だったのではないかと思っている。
もちろん、これは個人的な感想である。
断定するつもりはない。
けれど、建築の問題だけで済まされたようには見えなかった。
大きなプロジェクトでは、技術だけでは決まらない。
政治がある。
世論がある。
予算がある。
責任の押し付け合いがある。
誰かが説明しやすい理由を探すこともある。
その中で、ザハ案は切られた。
私はそう感じている。
今の国立競技場も、きれいだと思う。
木を使い、日本らしさを出し、周辺環境にも配慮している。
悪い建物だとは思わない。
ただ、それだけ、とも思ってしまう。
インパクトがない。
記憶に突き刺さる強さがない。
優等生ではある。
しかし、世界中が一瞬息をのむような建築だったかと言われると、少し物足りない。
北京のスタジアムと比べてしまう
どうしても北京オリンピックのスタジアムを思い出す。
いわゆる「鳥の巣」である。
あのスタジアムには、圧倒的なインパクトがあった。
複雑な鉄骨が絡み合い、巨大な巣のように都市の中に立っている。
好き嫌いはあるだろう。
お金がかかりすぎだと評論する人もいただろう。
しかし、世界中が見るオリンピックのスタジアムとして、あの強さは見事だったと思う。
4年に一度の祭典である。
世界中の人が同じ場所を見る。
そういう時くらい、少し過剰でもいいのではないか。
そんな考え方は甘いと批判されるかもしれない。
でも私は、建築には時々、過剰さが必要だと思っている。
合理性だけでは、人の記憶には残らない。
きちんとしているだけでは、胸は震えない。
もちろん無駄遣いをしてよいという話ではない。
しかし、歴史に残る建築には、どこか危ういほどの熱量がある。
ザハ案には、それがあった。
ザハの呪い、という冗談
東京オリンピックは、結果的に延期された。
公式にはもちろん、感染症の世界的流行による延期である。
それはわかっている。
わかっているのだが、私は時々、半分冗談で思う。
これはザハの呪いだったのではないか、と。
もちろん本気で言っているわけではない。
ただ、彼女ならそれくらいできそうな気がしてしまう。
それほどのオーラがあった。
キャンセルされた建築家が、空の上から東京を見て、
「そんなに簡単に済むと思ったの?」
と言っているような気がした。
不謹慎かもしれない。
でも、ザハ・ハディドという人には、そういう物語をまとわせてしまう力があった。
建築家というより、神話の登場人物に近い。
ロンドンで見たザハ
私は一度、ザハ本人を見たことがある。
ロンドン大学で開催された講演会だった。
遠くから見ただけである。
それでも、忘れられない。
すごい迫力だった。
体が大きいということもあった。
しかし、それだけではない。
全身が自信に包まれていた。
みなぎる自信。
自分が何者であるかを疑っていない人の空気。
会場にいるだけで、周囲の空気が少し変わるようだった。
本当は、近寄って握手でもしたかった。
一言でも声をかけたかった。
しかしできなかった。
足がすくんだ。
建築家を前にして足がすくむという経験は、そう何度もあるものではない。
けれど、あの時は本当に近寄れなかった。
怖いというのとは違う。
尊敬とも少し違う。
ただ、圧がすごかった。
この人は、自分の信じる形を世界に押し通してきた人なのだと思った。
構造設計者から見たザハ
構造設計者から見ると、ザハの建築は簡単ではない。
むしろ大変である。
曲面。
ねじれ。
不規則な形状。
連続する床。
柱が消えているように見える空間。
力の流れが、直感的には読みにくい。
こういう建築を成立させるには、相当な構造的検討が必要になる。
単に形が面白いだけでは建たない。
解析が必要になる。
接合部が必要になる。
施工手順が必要になる。
許容誤差の管理が必要になる。
コストとの闘いもある。
ザハの建築は、建築家の夢だけでできているわけではない。
その夢を現実に引き戻しながら、それでも壊さずに立ち上げるエンジニアリングがある。
そこに興味がある。
建築家が無茶を言う。
構造設計者がそれを受け止める。
時には押し返す。
時には別の答えを出す。
そのせめぎ合いの中で、建築が生まれる。
ザハの建築は、そのせめぎ合いが極端に強い建築だったのではないかと思う。
彼女は負けなかった
ザハ・ハディドのすごさは、才能だけではないと思う。
負けなかったことだ。
女性であること。
アラブ出身であること。
作品が難解だと言われること。
実現しない建築家だと言われた時期があったこと。
それでも続けた。
続けるというのは、簡単なことではない。
特に建築の世界では、作品が建たなければ評価されにくい。
図面や絵だけでは、いつか限界が来る。
それでも彼女は、自分の建築を変えなかった。
世界の方が、少しずつ彼女に追いついてきた。
そんな感じさえする。
もちろん、すべての作品が好きかと言われると、そうではない。
すべてが成功しているかと言われれば、それも違うだろう。
けれど、彼女が建築の可能性を広げたことは間違いない。
「こんな形でも建築になるのか」
「こんな空間を本当に建てられるのか」
そういう問いを世界に投げ続けた。
それだけでも、十分にすごい。
まとめ
ザハ・ハディドは、いわずと知れた有名建築家である。
作品紹介なら、すでに多くの人がしている。
だからここでは、彼女の存在感について書きたかった。
女性であり、アラブであり、海外で戦う建築家であったこと。
その中で、彼女は自分の建築を押し通した。
東京オリンピックスタジアムの案は、実現しなかった。
私は今でも、あの建築を見たかったと思っている。
コストや施工性の問題はあっただろう。
それでも、世界中が注目する祭典のスタジアムとして、あの案には記憶に残る強さがあった。
今の国立競技場もきれいだ。
しかし、ザハ案が持っていたような衝撃はない。
北京の鳥の巣のように、世界が一目で覚える建築。
そういうものを東京で見たかった。
ロンドンで一度だけ見かけたザハ本人は、圧倒的な迫力を持っていた。
握手をしたかった。
でも近寄れなかった。
足がすくんだ。
あれほど自信に包まれた人を、私はあまり見たことがない。
ザハ・ハディドという建築家は、建物だけでなく、自分自身も一つの巨大な建築のようだった。
近寄りがたく、強く、少し怖く、そして忘れがたい。
今でもそう思っている。
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