本文
旅の記憶 ― ベトナム、そして海外で働くということ
これまで、いくつかの国で暮らしてきた。
ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、
そしてベトナム。
都市はそれぞれに違う顔を持っている。
同じ建築でも、そこに流れる時間や空気はまったく違う。
中でもベトナムは、
少し特別な印象を残している。
ハノイとホーチミン
ベトナムでは、
ホーチミンとハノイに赴任していた。
ハノイはどこかしっとりとした街だった。
フランス統治時代の建物が残り、
古都のような雰囲気がある。
時間の流れが少し緩やかで、
街全体に落ち着きがあった。
一方でホーチミンは、
まったく違う顔をしている。
過去の戦争ですべてが破壊され、
その後に急速に成長した都市。
近代的で、
エネルギーに満ちていた。
若い国
当時のベトナムは、
平均年齢が20代だった。
とても若い国だった。
街には活気があり、
人の動きも速い。
しかしその背景には、
少し暗い理由がある。
戦争によって、
多くの大人が命を落とした。
その結果としての「若さ」。
それを知ると、
街の見え方が少し変わる。
ホーチミンの言葉
ベトナムの指導者、ホーチミン。
彼の遺した言葉の一節が、
印象に残っている。
「山もある、川もある、人もいる、アメリカに勝ったら築きあげよう、今よりも10倍も美しく」
過去を背負いながら、
それでも前に進もうとする意思。
ベトナムという国のエネルギーは、
そこにあるのかもしれない。
最初の赴任地
最初の海外赴任はニューヨークだった。
英語もろくに話せないまま、
飛び込んだ。
最初の数ヶ月は、
何もかもが大きすぎた。
特に食事。
量が多い。
見ただけで満腹になるような量だった。
実際、あまり食べられず、
少し痩せた。
慣れるということ
しかし、人は慣れる。
数ヶ月もすると、
普通に食べられるようになる。
むしろ最後の方は、
「こんなに食べる日本人は初めて見た」
そんなことを言われるようになっていた。
夜は、
グリニッチ・ビレッジやソーホーで飲み歩く。
あの頃の街の空気を、
今でも少し覚えている。
ロサンゼルス
一度帰国し、
数年後に赴任したのがロサンゼルスだった。
設計の仕事は、
全米に広がっていた。
その中には、
地震とは無縁の地域もある。
日本の設計感覚からすると、
どこか不安に感じることもあった。
断面が細い。
余裕が少ない。
靭性設計の考え方も違う。
同じ構造設計でも、
国が違えば考え方も変わる。
生活の違い
生活もまた、
日本とは大きく違っていた。
広い空。
車社会。
自由な時間。
ロサンゼルス時代に結婚し、
生活の範囲もさらに広がった。
妻のこと
英語については、
自分はあまり上達しなかった。
それに比べて、
妻の適応力は驚くほどだった。
どんどん上達していく。
あるとき会社で、
「お前じゃなくて奥さんが働きに出ろ」
そんなことを言われたこともある。
冗談なのか本気なのか、
少しわからない言い方だった。
ロンドン
ロンドンに赴任していたときは、
ヨーロッパによく行った。
当時は交通費が安かった記憶がある。
気軽に移動できた。
「ちょっとランチにパリへ」
そんなことも、
現実にできた時代だった。
子供の頃の夢
小学校の卒業文集に、
将来の夢を書いた。
「設計士になって海外で暮らす」
そのときは、
具体的なイメージはなかったと思う。
ただ、
なんとなくそう書いた。
振り返って
気がつけば、
その通りの人生になっていた。
ニューヨーク。
ロサンゼルス。
ロンドン。
ベトナム。
それぞれの場所で、
違う建築を見て、
違う人と出会った。
まとめ
海外で働くということは、
単に場所が変わるだけではない。
考え方も変わる。
視点も変わる。
建築を見る目も、
少しずつ変わっていく。
そして振り返ってみると、
その積み重ねが
今の自分をつくっているように思う。
リンク
構造設計という仕事が連れていってくれた場所
旅の記憶 ― シドニーオペラハウス
構造設計の魅力

コメント