大きな地震が起きると、テレビの画面はしばらくのあいだ、同じような映像で埋めつくされる。
ヘリコプターから見下ろした町。屋根だけを地面に残して潰れた家。道をふさぐ瓦礫と、その前に立ち尽くす人の背中。アナウンサーの声はいつもより低く、画面の隅には震度の数字が並び続ける。何度見ても、慣れるということのない光景である。
そういう映像を前にして、構造設計者はいったい何を見ているのか。ときどき、そう聞かれることがある。
私が探しているのは、違いである。
被害の大きかった建物と、少なかった建物。そのあいだに、どんな違いがあったのか。そして被害は、どこに集中しているのか。ある町の、ある通りなのか。ある時代に建てられた家なのか。それとも建物の、ある一つの部分なのか。
映像の一コマ一コマを追いながら、私はいつも、その答えを探してしまう。
最初に思うこと
ただ、順番を間違えてはいけないと思う。
画面の向こうにいるのは、建物である前に、人なのだ。家を失った人がいる。家族を失った人もいる。構造の話をするのは、そのことを胸の奥に置いてからでなければならない。
そのうえで、私の目はやはり建物に向かってしまう。それが、この仕事を長く続けてきた者の、どうしようもない習性なのだろう。
倒れなかった建物
潰れた家の映像は、もちろん胸に刺さる。けれど、私がいちばん長く見つめてしまうのは、実はその後ろに映り込んでいる建物のほうだ。
傾いた家の隣で、何事もなかったように立っている家。窓ガラスは割れていても、骨組みはしっかりと残っているビル。ニュースは、そうした建物をほとんど取り上げない。倒れなかった建物は、ニュースにならないからである。
だが、答えはむしろそこにあるのではないか、と私は思っている。同じ町で、同じ揺れを受けて、なぜあちらは倒れ、こちらは残ったのか。その違いを一つずつ確かめていくことが、次の建物を少しでも強くすることにつながっていく。
倒れた建物は、何が足りなかったのかを教えてくれる。倒れなかった建物は、何が効いていたのかを教えてくれる。
年代という物差し
倒れた建物と、倒れなかった建物。その二つを分けるものは何か。大きな手がかりの一つが、いつ建てられたか、である。
日本の建物の耐震の決まりは、大きな地震のたびに見直されてきた。1981年には、いわゆる新耐震基準が設けられた。1978年の宮城県沖地震の被害などから得た教訓を踏まえて、建物の強さの考え方そのものが大きく改められたのだ。さらに2000年には、木造住宅について、柱や梁をつなぐ金物や、壁をバランスよく配置することなどが具体的に定められた。
その積み重ねが何をもたらしたのかを、はっきりと数字で示したのが、2016年の熊本地震だった。
震度7の揺れに二度見舞われた益城町の中心部で、日本建築学会が木造の建物を一棟ずつ調べ、国の委員会がその結果をまとめている。1981年より前に建てられた木造では、28.2%が倒壊していた。1981年以降、2000年より前に建てられたものでは、それが8.7%。そして2000年以降に建てられたものでは、2.2%だった。
数字は冷たい。けれど、この数字の裏には、決まりを少しずつ積み上げてきた人たちの、長い時間がある。
今年の夏、ふたたび熊本で
そして今年、2026年7月28日の夕方、熊本でまた大きな地震が起きた。マグニチュード7.1。宇城市と氷川町で、震度7が観測されている。
10年前にも大きな地震に見舞われた熊本である。ようやく日常を取り戻しかけていた人たちのことを思うと、言葉が見つからない。
被害の調べは、まだ続いている。それでも、国の研究機関などの初期の調査では、倒壊した建物は、築45年を超える旧耐震基準の木造住宅に目立っていると報告されている。10年前と同じ傾向が、また繰り返されたことになる。
決まりは変わった。けれど、変わる前に建てられた家は、今もたくさん残っている。建物というものは、決まりが変わったからといって、一夜で建て替わるわけではないのだ。
熊本は、地震地域係数が0.9や0.8とされている地域である。地震地域係数とは、過去の地震の記録などをもとに、設計で見込む地震の力を土地ごとに調整するための数字で、1.0から0.7までの範囲で定められている。平たく言えば、熊本はほかの土地よりも地震が小さいだろう、ということになっているのだ。
しかし、ひとたび地震が来れば、この惨状である。
神戸もそうだった。関西には大きな地震は来ない。いつの頃からか、そんな言葉がささやかれていた。何の根拠もない、都市伝説のようなものだ。
1995年1月17日。横倒しになった高速道路の映像を初めて見たとき、私は、どこか外国で地震があったのだろうと思った。まさか日本で、あれほどの倒壊が起きるとは、想像すらしていなかったのである。
地震は少ないはずだ、という思い込み。それがいちばん、建物を弱くしてしまうのかもしれない。
写真に写らないもの
もう一つ、ニュースの映像からは伝わりにくいことがある。
倒れなかった建物が、すべて無事だったわけではない、ということだ。
地震のあとには、被災建築物応急危険度判定(その建物にすぐ入ってよいかを、専門家が外から見て判定する調査)が行われる。今年の熊本では、地震の翌日からの2週間ほどで9,500件あまりの建物が調べられ、そのうち1,700件あまりに「危険」を示す赤い紙が貼られた。
外から見れば、立っている。けれど、柱にひびが入っている。わずかに傾いている。もう中では暮らせない。倒れなかったことと、そこで暮らし続けられることとは、また別の話なのである。
建物は、人の命を守ればそれでよい、というものではないのかもしれない。地震のあとも、そこで暮らしを続けられること。これからの耐震は、そこまでを考えていく必要があるのだと思う。
次の設計へ
構造設計者にとって、地震にはいつも、答え合わせのようなところがある。
自分たちが机の上で考えてきたことは、本当に正しかったのか。どこかで甘く見積もってはいなかったか。大きな地震が起きるたびに、その問いを突きつけられる。
そして、倒れた建物と倒れなかった建物から学んだことが、次の決まりになり、次の設計になっていく。1981年の見直しも、2000年の見直しも、そうやって生まれてきた。耐震の技術とは、たくさんの痛みの上に積み上げられてきたものなのだ。
まとめ
大きな地震のニュースを見るとき、私は倒れなかった建物を探している。
そこには、決まりを積み上げてきた人たちの仕事があり、次の設計への手がかりがある。倒れた建物と同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に、倒れなかった建物は多くのことを語っている。
もしこれを読んでいる人が、自分の家のことが気になったなら、まずは建てられた年を確かめてみてほしい。1981年より前か、2000年より前か。それがわかれば、耐震診断(専門家が建物の地震への強さを調べること)を受けるかどうかを考える手がかりになる。多くの自治体には、その費用を助ける仕組みもある。
正しく知ることが、いちばんの備えになる。
次に地震のニュースが流れたとき、画面の隅に映り込んだ、何事もなかったように立つ家にも、少しだけ目を向けてみてほしい。私はきっと、また同じ場所を見ているはずだ。

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