構造設計者は街を歩くと何を見ているのか?

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構造設計者は街を歩くと何を見ているのか?

妻と散歩していても、職業病は治らない。

たとえば鎌倉を歩いている。

妻が紫陽花を見ている。

私は、その紫陽花の後ろにある擁壁のひび割れを見ている。

我ながら、少しどうかと思う。

けれど、構造設計という仕事を長くしていると、街の見え方が少し変わってくる。

きれいな花。
古い家並み。
小さな橋。
坂道。
路地。

もちろん、そういうものも見る。

しかし同時に、別のものも見ている。

古民家の傾き。
擁壁の水抜き穴。
庇の出。
木造の補強金物。
小さな橋の支承。
足場の控え。
看板の支持方法。

普通の人とは、少し違うところに目が行く。


古民家を見る

鎌倉には古い建物が多い。

古民家も残っている。

そういう建物を見ると、まず全体の佇まいを見る。

いい建物だな、と思う。

その次に、少し職業的な目になる。

柱は傾いていないか。
梁は下がっていないか。
屋根は重そうか。
基礎はどうなっているのか。

木造住宅は、時間とともに少しずつ変形する。

完全にまっすぐではないことが、むしろ味になることもある。

ただ、構造的には、その「味」と「危うさ」の境目が気になる。

美しい古民家を見ているつもりが、気がつくと仕口や継手のことを考えている。

この部材はどう納まっているのか。
この補強は後から入れたのか。
このディテールは今でも使えるのか。

街歩きのつもりが、いつの間にか小さな現場見学になっている。


擁壁を見る

鎌倉は坂が多い。

坂が多いということは、擁壁が多いということでもある。

擁壁は、街の中ではあまり注目されない。

しかし構造設計者にとっては、かなり気になる存在だ。

石積み。
RC擁壁。
古いブロック積み。
水抜き穴。
ひび割れ。
傾き。

擁壁は土を支えている。

普段は静かに見えるが、雨が降れば水圧がかかる。

地震が来れば土圧も変わる。

小さなひび割れでも、その背後にある状態を想像してしまう。

妻が花を見ている横で、私は擁壁を見ている。

なかなか風情のない夫である。


庇と看板

街を歩いていると、庇にも目が行く。

店先の庇。

住宅の小さな庇。

古い商店の看板。

一見なんでもないものだが、構造的には面白い。

庇は片持ちになることが多い。

風も受ける。

雨も受ける。

看板も同じだ。

台風のときにどれくらいの力を受けるのか。
支持部はどうなっているのか。
ボルトは大丈夫か。

そんなことをつい考える。

看板が少し大きいと、風荷重が気になる。

細い金物で支えていると、

「頑張ってるなぁ」

と思う。

完全に職業病だ。


小さな橋を見る

小さな橋も好きだ。

大きな橋梁のような迫力はない。

けれど、小さな橋には小さな橋なりの構造の面白さがある。

桁は何でできているのか。
支点はどうなっているのか。
床版は傷んでいないか。
手すりは後付けか。

橋は、力の流れが比較的わかりやすい。

荷重が床にかかり、桁に伝わり、支点へ流れていく。

小さな橋を渡るたびに、そんなことをぼんやり考える。

ただ渡ればいいのに。


ディズニーランドでも職業病は出る

職業病は、観光地でも容赦なく出る。

たとえばディズニーランド。

行列に並んでいる。

周りの人はアトラクションの世界観を楽しんでいる。

私は、木造風の建物を見ている。

「これ、木造風だけど実は鉄骨造かな」

そんなことを考えている。

もちろん、夢の国でそんなことを考える必要はない。

ないのだが、見てしまう。

木に見える部材。
石に見える仕上げ。
古びたように見せた外壁。

それが本物なのか、擬装なのか。

そして、その裏側の構造は何なのか。

夢の国に行っても、構造設計者の目はあまり夢を見ない。


ジェットコースターが怖くなった

昔はジェットコースターに乗れた。

けれど、ある時期から怖くなった。

スピードが怖いわけではない。

高いところが怖いわけでもない。

怖いのは、フレームだ。

疲労破壊。
ボルトの劣化。
溶接部の損傷。
人為的なミス。
経年劣化。
点検漏れ。

そんなことを考えてしまう。

もちろん、きちんと管理されているはずだ。

安全確認もされているはずだ。

それでも、構造を仕事にしていると、つい最悪のシナリオを考える。

これはあまり楽しい能力ではない。


細い柱を見る

街の中で細い柱を見ると、少し反応する。

「頑張ってるなぁ」

と思う。

本当に頑張っているのは柱ではなく、設計者と施工者なのだが、つい柱に声をかけたくなる。

細い柱には理由がある。

空間を広く見せたい。
視線を通したい。
意匠的に軽く見せたい。
床面積を確保したい。

その裏側で、構造設計者はかなり悩んでいる。

軸力。
座屈。
接合部。
水平力。
耐火被覆。
施工精度。

細い柱は、ただ細いだけでは成立しない。

細く見せるために、たくさんの工夫が入っている。


溶接のビードを見る

溶接にも目が行く。

鉄骨の接合部。

階段の手すり。

外部の金物。

溶接のビードがきれいに処理されていると、

「こだわってるなぁ」

と思う。

逆に、少し荒い溶接を見ると、気になってしまう。

もちろん、見た目だけで性能は判断できない。

それでも、細部に手を抜いていない仕事は、どこかに気配が出る。

構造というのは、最終的には細部に宿る。

大きな考え方も大事だが、接合部や納まりが悪ければ建物は成立しない。


自分ならどうするか

街を歩いていると、つい考える。

自分だったらどうするだろう。

この庇なら、もう少しこう納めるかもしれない。
この補強なら、別の方法もありそうだ。
このディテールは、いつかどこかで使えるかもしれない。

そういう小さな観察が、設計の引き出しになる。

設計の勉強は、机の上だけでするものではない。

街の中にもある。

旅先にもある。

近所の散歩にもある。


街は教材である

構造設計者にとって、街は教材だ。

古い建物も、新しい建物も、工事中の足場も、看板も、橋も、擁壁も、すべてが教材になる。

もちろん、すべてを分析して歩いているわけではない。

ただ、目が勝手に拾ってしまう。

あれはどう支えているのか。
なぜあの形なのか。
どこに力が流れているのか。

そう考えながら歩くと、街は少し違って見える。


まとめ

構造設計者は、街を歩くと少し変なものを見ている。

古民家の傾き。
擁壁のひび割れ。
庇の支持。
橋の支点。
足場の控え。
看板のボルト。
溶接のビード。

普通の人なら見過ごすものが、妙に気になる。

でも、それは悪いことではないと思っている。

そういう視点が、設計の感覚を育ててくれる。

妻が紫陽花を見ている横で、私は擁壁を見ている。

少し困った職業病だが、これもまた構造設計者の旅なのかもしれない。

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