レム・コールハースは、好きな建築家の一人である。
好きな建築家、と簡単に言ってしまっていいのか少し迷う。
作品が好き、というだけではない。
考え方が気になる。
建築の捉え方が気になる。
都市を見る目が気になる。
そして、普通ならそこに線を引くところを、平気で越えてくる感じが気になる。
レム・コールハース本人と話をしたことはない。
講演会で遠くから見た、というような記憶もない。
けれど、OMAとは一緒に仕事をしたことがある。
広島で計画された橋の国際コンペだった。
あの時間は、今でもかなり鮮明に覚えている。
構造設計者としての自分の感覚が、少し揺さぶられた。
橋とはこういうものだ。
構造とはこう考えるものだ。
そう思っていた輪郭が、OMAの面々と議論しているうちに、ぐにゃりと変形していくような感覚があった。
橋の概念が覆る
橋というのは、基本的にはこちら側とあちら側をつなぐものだ。
川を越える。
道路を越える。
谷を越える。
人や車を通す。
そう考えれば、橋はとても機能的な構造物である。
力学的にも明快だ。
荷重が床版にかかり、桁に流れ、支点に伝わり、基礎へ落ちていく。
もちろん実際の橋梁設計は単純ではない。
支承、温度変化、風、地震、疲労、維持管理、施工手順。
考えることはいくらでもある。
それでも、橋には橋の常識がある。
しかしOMAとの打ち合わせでは、その常識が何度も揺さぶられた。
橋を、ただ渡るためのものとして見ていない。
都市の一部として見ている。
人が滞在する場所として見ている。
風景をつくる装置として見ている。
場合によっては、橋そのものが都市的な出来事になる。
そういうアイデアが、次々に出てくる。
こちらが、
「それは橋なのか」
と思うような案もある。
けれど、そう思った瞬間に、自分がかなり狭いところで橋を見ていたことに気づかされる。
橋は、渡るためだけのものではないのかもしれない。
橋は、立ち止まる場所にもなる。
橋は、眺める場所にもなる。
橋は、街の記憶にもなる。
そんなふうに考えると、急に橋の範囲が広がっていく。
コスト度外視の時間
コンペの初期段階は、とにかく楽しかった。
コストを一度脇に置く。
施工性も少し脇に置く。
まずはアイデアを出す。
この時間は、設計者にとってかなり幸福な時間である。
OMAの面々からは、橋の概念が覆るようなアイデアがどんどん出てきた。
構造設計者としては、それを聞きながら別のことを考える。
これはどうやって解析するのか。
材料は何がいいのか。
鋼か。
コンクリートか。
ケーブルか。
トラスか。
シェルのように考えるのか。
床版をどう成立させるのか。
基礎はどこに置くのか。
施工はどこから始めるのか。
こんなことを考えていると、本当に楽しい。
難しい案ほど、頭が動く。
無茶な案ほど、解きたくなる。
もちろん、実現できないものは実現できない。
けれど、最初から「無理です」と言ってしまうと、何も生まれない。
まず考えてみる。
どうすれば成り立つか。
どこに力を流せばいいか。
何を諦めれば成立するか。
何を残せば、この案の魅力が消えないか。
この往復が面白い。
建築家やデザイナーが突拍子もないことを言う。
構造設計者が、その突拍子もなさを現実の側へ少しずつ引き寄せる。
それでも全部は殺さない。
そこに設計の面白さがある。
現実がやってくる
しかし、設計は夢だけでは進まない。
進めていくうちに、避けて通れない問題が出てくる。
建設費。
施工性。
工期。
維持管理。
安全性。
発注者の理解。
審査員の視点。
行政的な条件。
橋は建築以上に公共性が高い。
道路や河川や都市計画とも絡む。
誰かが好きだから建てる、というわけにはいかない。
使われ続けなければならない。
維持されなければならない。
事故があってはならない。
そうなると、最初に出ていた自由なアイデアは、少しずつ削られていく。
尖っていた部分が丸くなる。
過激だった案が整理される。
構造的に成立しやすい方向へ寄っていく。
施工できる形へ寄っていく。
コストの説明がしやすい形へ寄っていく。
最終的には、ある意味では無難な案に落ち着いた。
もちろん、それでも十分にチャレンジングではあった。
ただ、初期段階の爆発的なアイデアの数々を知っている身としては、少し寂しさもあった。
設計とは、夢を現実にする作業である。
しかし同時に、夢を削っていく作業でもある。
そのことを、あのコンペで改めて感じた。
コンペには勝てなかった
結果として、そのコンペには勝てなかった。
悔しさはあった。
やはり、勝ちたかった。
コンペは勝たなければ形にならない。
どれだけ面白い議論をしても、どれだけ可能性を感じても、選ばれなければ建たない。
建たなければ、街の中に残らない。
そこがコンペの厳しさである。
けれど、負けたから意味がなかったとは思わない。
むしろ、あれはかなり貴重な経験だった。
OMAの人たちと一緒に考えることで、自分の中の構造設計の枠が少し広がった。
橋を見る目も変わった。
構造物を、単なる力学の結果としてだけではなく、都市の中の出来事として見る感覚が強くなった。
これは、あとからじわじわ効いてくる経験だったと思う。
その時は結果に一喜一憂する。
しかし時間が経つと、結果よりもプロセスの方が残ることがある。
あのコンペは、私にとってそういう仕事だった。
レム・コールハースの面白さ
レム・コールハースの面白さは、建築家でありながら、建築だけを見ていないところにあると思う。
都市。
情報。
消費。
政治。
経済。
人の流れ。
欲望。
そういうものを全部含めて建築を考えている。
単体の建物を美しくつくるというより、建築が置かれる状況そのものを読み替えようとしているように見える。
だから彼の作品やOMAの提案には、どこか過剰な理屈がある。
ただ形が面白いのではない。
その奥に、都市をこう見てもいいのではないか、という仮説がある。
その仮説が強いから、好き嫌いも分かれる。
わかりやすく美しい建築ではないこともある。
親切ではないこともある。
しかし、考えさせられる。
それがコールハースの強さなのだと思う。
建築が単に「建物をつくること」だけではないと教えてくれる。
建築は、都市を見るための方法でもある。
社会を見るための道具でもある。
そういう広がりがある。
好きな作品、ソウル大学美術館
前にも書いたことがあるが、レム・コールハースの作品で特に好きなのは、ソウル大学美術館である。
あの建物は、派手な巨大建築ではない。
世界を驚かせるようなスケールでもない。
むしろ限られた条件の中で、非常にうまく解いている建築だと思う。
限られた予算の中で、あれだけの空間をつくる。
そこに、コールハースの見事な手腕が出ている。
建築家の力は、無制限の予算がある時だけに出るわけではない。
むしろ制約がある時にこそ出る。
敷地が難しい。
予算が限られている。
プログラムが複雑である。
工期がある。
そういう条件の中で、何を残し、何を諦め、どこに力を集中させるか。
そこに設計者の力量が出る。
ソウル大学美術館には、その切れ味がある。
構造的にも、空間的にも、無駄に大声を出していない。
けれど記憶に残る。
こういう建物は強い。
福岡の作品をもう一度見たい
日本にも、福岡にレム・コールハース/OMAの作品がある。
ネクサスワールドである。
建築好きなら知っている人も多いだろう。
福岡に世界的建築家たちの集合住宅が並ぶという、かなり特別なプロジェクトである。
その中に、コールハースの作品がある。
私は、老朽化で壊される前に、もう一度は訪れたいと思っている。
もちろん、今すぐ壊されると決まっているわけではない。
ただ、建築は永遠ではない。
特に集合住宅は、人が暮らし、維持管理され、時代の変化を受ける。
どれほど有名な建築家の作品であっても、使われ続ける中で老朽化する。
修繕も必要になる。
時には建て替えの話も出る。
建築は、写真集の中では永遠のように見える。
しかし現実の建物は、雨に濡れ、風を受け、人に使われ、少しずつ古くなる。
だから、見たい建築は見られるうちに見ておきたい。
これは旅をしてきて、何度も感じたことでもある。
有名だから残るとは限らない。
価値があるから守られるとも限らない。
もう一度行きたいと思っているうちに、失われるものもある。
福岡のコールハースは、そうなる前にもう一度見ておきたい建築の一つである。
構造設計者としての学び
OMAとの仕事で学んだことは、構造設計者は「無理です」と言うだけではつまらないということだった。
もちろん、安全上無理なものは無理である。
成立しないものを成立すると言ってはいけない。
しかし、最初から現実だけを並べると、アイデアは育たない。
コスト。
施工性。
構造合理性。
維持管理。
それらは大切だ。
しかし、あまり早く出しすぎると、可能性まで潰してしまう。
まず夢を見る。
その後で現実を見る。
そして、夢と現実の間に橋を架ける。
構造設計者の役割は、そこにあるのかもしれない。
OMAとのコンペでは、そのことを強く感じた。
自由すぎるアイデアを前にして、こちらも自由に考える。
これはどう成り立つのか。
どこに力を流せばいいのか。
どんな材料なら可能か。
どんな施工順序なら成立するか。
そう考える時間は、本当に楽しかった。
まとめ
レム・コールハースは、私の好きな建築家の一人である。
本人と話したことはない。
けれど、OMAとは広島の橋の国際コンペで一緒に仕事をしたことがある。
その時受けた刺激は大きかった。
橋とは何か。
公共空間とは何か。
構造物は都市の中で何ができるのか。
そういう問いを、OMAの面々は次々に投げてきた。
初期段階では、コストを度外視したようなアイデアがどんどん出た。
こちらは、それをどう解析するか、どんな材料なら可能か、どう施工するかを考える。
本当に楽しい時間だった。
しかし進めていくうちに、建設費と施工性という現実がやってくる。
最終的には、無難ではあるが、それでもチャレンジングな案に落ち着いた。
コンペには勝てなかった。
けれど、貴重な経験だった。
レム・コールハースの作品では、ソウル大学美術館が特に好きだ。
限られた予算の中で、あれだけの建築を成立させた手腕が見事だと思う。
日本には福岡にネクサスワールドがある。
老朽化で失われる前に、もう一度は訪れたい。
建築は、建っているうちに見ておいた方がいい。
OMAとの仕事を思い出すたびに、そう思う。
建築は、形だけではない。
アイデアであり、都市への問いであり、現実との格闘でもある。
レム・コールハースとOMAは、そのことを強く感じさせてくれる存在である。

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