私が構造設計者になった理由
小学校の頃は、自分は何にでもなれると思っていた。
宇宙飛行士。
F1パイロット。
サッカー選手。
建築家。
子供というのは、なかなかたのしい。
何の根拠もないのに、未来だけは無限に広がっていると思っている。
けれど今になって思う。
才能とは、もしかすると特別な能力のことではないのかもしれない。
なりたい自分になるために努力を惜しまないこと。
いや、努力しているとさえ思わずに夢中になれること。
それが才能なのではないかと思う。
大概のことは、少しやってみて、すぐに諦めてしまう。
なんなら最初から選択肢にも入れない。
「自分には無理だ」
そう言って、始める前にやめてしまう。
なると決めたらなる。
そういう覚悟を持てる人が、結局はなりたかった未来をつかんでいるのかもしれない。
自分を含めて、多くの人はどこかで折り合いをつける。
夢と現実の間に線を引く。
それでも私は、小学校の頃に漠然と口にしていた「建築の仕事」に、結果として就くことになった。
建築家になる。
その言葉の意味もよくわかっていなかった。
でも、建築の世界に行くという方向だけは、どこかで残っていたのだと思う。
なぜ建築だったのか
なぜ建築だったのか。
理由は、かなり単純だ。
昔からアートが好きだった。
絵を見るのも好きだったし、形を見るのも好きだった。
何かをつくることにも興味があった。
ただ、自分の表現の場をキャンバスではなく、空間に求めたのだと思う。
一枚の絵ではなく、そこに人が入り、歩き、見上げ、時間を過ごす場所。
自分の設計した建物が、街の中にそびえ立つ。
そんな姿を想像していた。
子供の頃の夢というのは、たいてい輪郭がぼんやりしている。
私の中の建築もそうだった。
美しい建物をつくる。
人が驚くような空間をつくる。
街の風景に残るものをつくる。
それくらいの、漠然とした憧れだった。
ただ、気持ちは変わりやすい。
高校を卒業する頃には、家具職人になりたいと思っていた。
建築ではなく、家具。
もっと人の手に近いもの。
椅子やテーブルのように、身体に触れるもの。
それをつくる仕事にも惹かれた。
学校もその道に進んだ。
今思えば、それも遠回りではなかった。
家具も建築も、空間をつくる仕事である。
スケールが違うだけで、そこには人の身体があり、重さがあり、素材があり、納まりがある。
後になって構造設計をするようになってからも、この感覚はずっと残っている。
部材の大きさ。
手触り。
接合部。
納まり。
建築を考える時にも、どこか家具を見るような目が自分の中にある。
なぜ構造だったのか
卒業後、設計事務所に就職した。
そこで初めて、構造事務所という存在を知った。
建築には意匠があり、設備があり、構造がある。
今では当たり前のように言えるが、最初からよくわかっていたわけではない。
建築家が建物を考え、構造設計者がそれを支える。
その関係を知った時、少し世界が変わった。
構造設計とは、単なる計算係ではない。
建物を安全に建たせるための骨格を考える仕事だ。
そしてその骨格は、時に建築そのものの表情にもなる。
これは、世界を少し良くするために自分ができることなのではないか。
そんなふうに思った。
大げさに聞こえるかもしれない。
けれど、建物は人の生活を支えている。
家も、学校も、駅も、空港も、スタジアムも、病院も、すべて人の時間を受け止めている。
その安全を支える仕事。
それは、かなり誠実な仕事に思えた。
それに、構造ならいろいろな建築家と仕事ができるのではないかとも思った。
一人の建築家として自分の作品だけをつくるのではなく、さまざまな建築家の考える空間に関わる。
そのたびに違う考え方に触れ、違う美意識に出会い、違う解き方を探す。
それは自分に合っている気がした。
実際、構造の道に進んでから、日本だけでなく世界へ飛び立つことになった。
空港。
スタジアム。
オフィス。
商業施設。
駅。
工場。
いろいろな建物に関わることができた。
構造設計には、自分の感性だけではなく、答えがある。
もちろん、答えは一つではない。
しかし、力の流れには嘘がつけない。
荷重は必ずどこかへ流れる。
支えなければ建物は立たない。
そこに、ある種の明快さがある。
感性だけではなく、理屈がある。
その両方が必要なところが、自分の性に合っていたのだと思う。
なぜ海外だったのか
高校生活は、正直に言えばよく遊んだ。
ヤンキーというほどではない。
けれど、かなりサボった。
パチンコ。
マージャン。
バイク。
今考えると、あまり褒められた高校生ではない。
進路相談で、
「ビルの設計がしたいです」
と言ったことがある。
先生には鼻で笑われた。
まあ、笑われても仕方がなかったのかもしれない。
成績も態度も、胸を張れるものではなかった。
しかし人生は不思議だ。
結局私は、海外でスタジアムの設計にも従事した。
空港の設計にも関わった。
ビルどころではない。
もちろん、誰かを見返してやろうと思っていたわけではない。
けれど結果だけを見れば、あの時鼻で笑われた少年は、ずいぶん遠くまで来たことになる。
なぜ海外だったのか。
これは単純に、憧れていたからだ。
英語をペラペラ話している自分を想像していた。
海外の街を歩き、外国人と仕事をし、世界中の建物に関わる。
そんな自分を想像していた。
実際には、英語はそんなに簡単ではなかった。
海外で暮らすことも、きれいな話ばかりではなかった。
不便なこともある。
理不尽なこともある。
言葉が通じないもどかしさもある。
習慣の違いに戸惑うこともある。
それでも、いろいろなものを見たかった。
いろいろな体験をしたかった。
知らない街を歩き、知らない建物を見て、知らない人と仕事をする。
それは、自分の世界を広げてくれた。
海外で暮らす不便さや理不尽な体験も、後から思い返せば、いい酒のつまみになる。
その時は大変でも、時間が経つと笑い話になる。
そして、その一つひとつが自分の中に残っている。
建築家にはならなかったけれど
小学校の頃、私は建築家になりたいと思っていた。
実際には、構造設計者になった。
それは夢から外れたのか。
私はそうは思っていない。
建築家とは違う立場で、建築に関わることになっただけだ。
むしろ構造設計者になったことで、いろいろな建築に関わることができた。
いろいろな建築家と仕事をし、いろいろな国のプロジェクトに触れ、いろいろな構造を考えることができた。
もし自分が意匠設計だけをしていたら、これほど多様な建築に関われたかどうかはわからない。
構造設計者という立場は、建築の裏側にいるように見える。
けれど実際には、建築のかなり深いところにいる。
建物が建つかどうか。
空間が成立するかどうか。
安全が守られるかどうか。
その根本に関わる仕事だ。
世界を少し良くする仕事
構造設計者になった理由を一言で言うのは難しい。
子供の頃の夢。
アートへの憧れ。
家具職人になりたかった寄り道。
設計事務所で知った構造事務所の存在。
海外への憧れ。
いくつものものが重なって、今の自分がいる。
ただ、振り返って思うことがある。
構造設計は、世界を少し良くする仕事だ。
派手ではない。
名前が表に出ることも多くない。
完成した建物を見ても、構造設計者の仕事は見えにくい。
けれど、その建物の中で人が働き、学び、食事をし、旅に出て、試合を見て、誰かと出会う。
その時間を支えることができる。
それは、悪くない仕事だと思う。
いや、かなり良い仕事だと思う。
まとめ
私は、小学校の頃に何にでもなれると思っていた。
宇宙飛行士にも、F1パイロットにも、サッカー選手にもなれると思っていた。
結局そのどれにもならなかった。
けれど、建築の仕事には就いた。
そして構造設計者になった。
自分の感性だけではなく、力学という答えのある世界に惹かれた。
一つの建築家の作品ではなく、さまざまな建築家と働けることにも惹かれた。
海外にも出た。
英語に苦労し、不便な暮らしも経験し、理不尽なこともあった。
それでも、世界を見たかった。
いろいろなものを見て、いろいろな体験をしたかった。
今振り返ると、すべてがどこかでつながっている。
建築が好きだったこと。
空間に惹かれたこと。
構造に答えがあったこと。
海外に憧れたこと。
そして、建物を通して人の時間を支える仕事に出会ったこと。
それが、私が構造設計者になった理由である。
構造設計の魅力
構造設計者が一人前になるまでに必要なこと
海外で構造設計をすると何が違うのか?
構造設計者は街を歩くと何を見ているのか?